映画『Conviction』の一番早い前評判
くじけずに、ヒラリー・スワンクは悪い司法に立ち向かった
【作品基本情報】
| 邦題: | 未定 |
| 原題: |
Conviction
〔Official Site〕
コンヴィクション |
| ジャンル: | ドラマ、冤罪、サクセス |
| 出演者: | ヒラリー・スワンク、サム・ロックウェル、メリッサ・レオ、ピーター・ギャラガー、トーマス・D.マハード、ミニー・ドライヴァー、他 |
| 監督: | トニー・ゴールドウィン |
| 日本公開: | 未定 |
◆捕まったら、もう終わり...
敏腕検事が証拠をかいざいんしていたり、やくざの脅しまがいの任意事情聴取をしたり、と、日本の"どっか府"では、まるでハリウッド映画のアクション・ドラマばりのダイナミズムが、存在しているようである。。
しかし、我々善良な市民にとっては、強引に擦り付けられる冤罪など、ある種、悪霊に取り付かれるよりも恐ろしいのだ。そして、その恐ろしさと重さを扱ったのが、ここで紹介する新作映画「Conviction」である。
これは、1980年代に実際に起きた冤罪の事件をベースにしたドラマ、という事らしい。まぁ、このモチーフに限っては、最初からの創作だと言ってしまうと、どうしようもない茶番劇になりそうだから、どこかから題材を拾ってくる事が必須条件に近いのかもしれない。
それでも、司法が不当に権力を行使して、市民を拘束し虐待するという構図は、直視するのが困難な程、残酷かつ腹立たしいので、ハリウッドの脚本家に扱わせるに足りる、強いインパクトを持っているだろう。
ここで、冤罪により人生を台無しにされ、しかし挫けずに、間違った司法と戦い続ける兄妹を、2度のアカデミー賞受賞を誇るヒラリー・スワンクと、サム・ロックウェルが演じていて、それはそれ、ちゃんとした娯楽ドラマにも仕上がっている、という物のようである。
1人の女性が自身の人生をかけた、18年に及ぶ、兄を自由にするための苦闘。その前評判から見てみよう。
◆あらすじ
本作のプロットは、大体以下のとおりである。
アメリカ合衆国はマサチューセッツ州に住む、ケニー(サム・ロックウェル)と、ベティー・アン・ウォーターズ(ヒラリー・スワンク)の兄妹は、子供のへの責任を放棄した母親に育てられ、したがって常にお金に困った家庭の中で生きてきた。
さして、高度な教育も受けるチャンスすらなく、2人はそれなりの生活スタイルを身に着けて大人になったのである。
1980年。その頃ケニーは、キレ易く、大酒飲みでしょっちゅう遊び歩いている。そんなある日、1人の女性警官ナンシー・テイラー(メリッサ・レオ)が彼の元にやってくるなり、あなたを殺人の容疑で逮捕します、と衝撃的な事を告げる。
もちろん、強行に否定するケニーだったが、逮捕されてしまってはどうしようもない。さらに、次々と上がる彼には不利な証拠の数々、まったく身に覚えのないケニーだったが、とうとう裁判によって終身刑が言い渡されてしまう。
その頃、ベティー・アンは既に2人の息子を持っていた。そんな彼女の兄が、無実の罪で刑務所に入れられる。しかも彼女の手元に、弁護士の費用など有る訳もないのだ。この受け入れがたい事実が、彼女に大きな、とても大きな決断をさせる。
法律を勉強して、兄の冤罪をはらしてみせる、そう決意を固めた彼女は、まず高校へ入学し直すと、カレッジへ進学し、結婚生活を危機にさらし、子供との絆さえ失いそうになりながらも、なんと法科大学院まで卒業してしまう。
その過程で、幾度と無く刑務所を訪問し、兄との面会を繰り返してきた彼女、しかし彼女の目に写るケニーは、歳月を重ねる毎に尚早感を募らせ、当初持っていた出獄への意欲を失いつつあった。
そして、いつも通りに、兄を救うためのリサーチをしていたベティー・アンの目に、DNA鑑定の有効性についての文章が飛び込んでくる。
事件当時の証拠品から、犯人の血液を鑑定できれば、兄の無実が証明できる。この事に勇気付けられた彼女は、冤罪を救う活動をしている弁護士バリー・シェック(ピーター・ギャラガー)の協力も得て、ついに再審の請求に動き出す。
そして、裁判に向けての調査を進めるうちに、兄の逮捕と起訴に関して、今まで隠蔽されてきた恐ろしい事実が、次々と姿を現してゆくのだった。
作品の批評は以下をご覧いただきたい。
◆真実の物語を、充分には伝えきらない一本
ヒラリー・スワンクとサム・ロックウェルを主役にすえた、この新作映画「Conviction」は、DNA判定に持ち込むために、一人の妹がゼロから頑張る、という、新聞の一面見出しから切り取られたような物語である。それでも本作は、そこでの法を相手にした戦いを分かり易く見せるための、抑えられない程の憤慨や高揚感といった感情を提供するには、充分とも言えない一本だろう。
ここでの、ベティー・アン・ウォータースは、ヒラリー・スワンクが好んで演じそうな、労働階級の女性である。
本作では、こういったキャラクターに相応しく、内面の脆弱さを完全に隠蔽しないという、角張ったような厳しい決意が、この女優には求められている。このベティー・アンという役では、いく層ものタフな精神と、同時に、その引き剥がされた困窮ぶりが露わになる様を、我々に見せてくれるのだ。それでも、家庭を犠牲にしながら、1人の女性を18年間も動かし続ける非常識なまでの力は、感情的側面においては掘り起こされないまま放置される。
一方で、サム・ロックウェルの方は、その役に降りかかった悲劇を、鋭く表現してもいるだろう。このケニーという男性は、長年の監獄生活に疲れ果てていて、ロックウェルはそこに、妹の面会を待つ間に体格も体力も使い果たしたと思える姿を現しながら、それでも、彼女の持ってくる僅かな望みに、しがみつくように生きているのだ。
1つの事態が後退する度に彼が見せる、その瞳の空虚さは、見るに値する何かだと言うことが出来る。しかし、この俳優は、演じるキャラクターの中で自分が進む道を見失う、という性質もある人物でもあるのだ。
ここで、トニー・ゴールドウィン監督と、脚本のパメラ・グレイの2人に、真上からのしかかった重みとは、物語が盛り込んだ伏線の話や社会学的なテーマであったはずだ。たとえば、警官の腐敗、証言のかいざん、証拠品の破壊、階級と貧困などである。
それでも、その、わき道が成し得た事の1つは、いくつかの小さい方向転換を、助演俳優達から引き出す事だったろうし、その中でもベストと呼べるのが、ジュリエット・ルイスが演じてみせる、ケニーの元ガールフレンドで、チェイン-スモーカーの女性だ。彼女は、酒に溺れすぎながら、周りがそう思っていない程に、じつは賢いという女性役で、鳥肌が立つほどのリアルさを示すのである。
これは、トニー・ゴールドウィンにとっては、4本目の劇場向け映画の演出である。制作者、そして、俳優でもある彼は、ここでは、ベティー・アンという存在の中に、感情的な支柱を見つけ出すのに、苦労をしているように伺える。
そして残念な事に、そういった事情が、この映画「Conviction」に"勝利 = triumph"よりも"試行or裁判 = trial"の方を与えてしまったのだ。
(Los Angeles Times)
実際の所、人間の感情は、言う程には濃密でも持続的でもない。相当な困難に瀕した家庭においても、大概の場合は有る程度のユーモアが語られるはずだ。人間、それがないと現状に耐えても行けないのだ。
不必要な演出と状況説明を用いて、主人公の眉を無理やりに、常にしかめ続けさせようとするメロドラマが、しばしば見ている側の鼻に付くのは、そういった理由も有るのだろう。
まぁ、最後に観客を感動させるハグで終了する事が、当初から決まっているドラマは、そこに向けての話に適度なテンションを維持して行くのも、撮る人間も演じる人間にとっても難しいものなのだろう。
◆華は無くとも、堅実なる一作品
この新作映画「Conviction」で、ヒラリー・スワンクが演じるベティ・アン・ウォータースは、無実の罪で監獄に入れられた兄、ケニー(サム・ロックウェル)を釈放させるため、自分の家庭環境をも危機にさらしながら、そして、大した教育も受けていないから、という、おおかたの予想さえ覆すようにして、法学位を取得し、兄の再審をアピールする。
このあと、全てがどっちに向かうかは、言わずと知れたようなものであるが、しかし実際、それがこの映画の第一の問題点なのである。この中で、ベティー・アンの挑戦が進む道にも、我々を驚かす要素はほんの少ししか無いのだ。
とは言え、ヒラリー・スワンクは、それらが高徳ぶるような事を避けながらも、ここでのウォータース兄弟が信頼感を与えるように、上手く演じてはいる。同時にサム・ロックウェルは、このケニーという男性に、狂ったようなエネルギーと疲弊感を同時に付加していて、これは、あなたが予想できるものを上回る刺激を、本作に生み出してもいる。スワンクの演技は直線的で、ロックウェルは大袈裟な演技を見せ、それらが上手くバランスしているのだ。
スワンクは、この「Conviction」によって、オスカーを受ける事はないだろう。なぜなら、その役の範疇に留まり続けているからである。一方、ロックウェルは、助演男優賞にノミネートされ得るかもしれない、彼が、その名を売るのに時間をとられすぎている、という事を、神様はご承知だからである。
この「Conviction」へは、監督のトニー・ゴールドウィンは、ヒステリックさを持ち込まないように、それを上手く操りながら堅実さを構築するように努力もしている。
本作は、見る者に大きな衝撃を与える事もないだろう、それでも、観客の多くを満足させるに足る、しっかりとした作りの映画、だという事ができるだろう。
(The Detroit News)
こんな事を書くと、サイトに訪れてくれる人の数に悪影響が有りそうで怖いのだが、筆者は、子供のころから権力構造とか、その中にはまる事とかが大嫌いな人間である。
自分でも大きな欠点だ(同時に長所でもあるのだろう)と思っているのだが、今になっても治らないので、これはどうしようもない事らしい。
なんで権力の構造が嫌いかというと、人間というもの、上層部であろうと下層部であっても、その中に上手くはまってしまうと、深く物事を考えたり、外の世界の事を知ろうとする態度が失われる、と、考えているからだ。
それでも、これが世の中を支え運営してゆくために必要な構造だ、というのも理解しているし、9割がたの権力者は、人徳のある立派なリーダーなのだろうとも、思ってもいる。
しかし、一度、権力が暴走すると、その規模が大なり小なり、悲劇的な結果を生み出す事は、人間の歴史の中で何万回も証明されてきた事だ。
それは、ここで紹介した映画「Conviction」が、実話ベースのドラマであるという事からも解かる話なのだ。
2010年10月30日 08:00






コメントする